日本人墓地 Broome

タナカミサト

2010年09月25日 18:05


" 日本人墓地 (Japanese Cemetery) "があると聞いたので、行ってきた。









日本のお墓と違って、ブルームにあるからなのか、なぜか明るい雰囲気を感じた。


門をくぐって中に入ると、一人の女性がひとつの墓にしがみつく形で何かをしている。





近づいていってみると、墓石にクッキングシートにあて、墨で墓に書いてある文字を写していた。




もしこんなこと日本でやっていたら、なんだか不謹慎な感じがするけど…
考えてみれば、お墓の写真を何枚もとっている私は人のこと言えないよな。

日本じゃ、墓の写真なんて絶対撮れない… なにか写りそうだし。。


それくらい、ポジティブな雰囲気の場所だったわけです。





この女性は、学校の先生らしく
授業でブルームの歴史を勉強するために、こうして資料を集めていたみたい。

「何してるの?」って聞いたら、逆に
「ここに何が書いてあるか教えてくれない?」って質問されてしまったので、
「ここには名前と○○之墓って書いてあって、こっちは亡くなった日付と年齢、これはたぶん出身地が書いてあるんだよ。」って教えてあげた。




日本の墓と違って、一人ひとりの墓があって、それぞれの詳細が墓に刻まれている。

上の写真は、私の母の名前に似ていて驚いた。



先生にお礼をいわれ、お墓をひとつひとつ見て回っていると

20代や30代で亡くなった人が多いことに気づいた。中には1歳や2歳の子のお墓もある。

あと、四国、和歌山、新潟出身の人が多かった。




そもそも、なぜこの場所に日本人の墓があるのか???





ブルームは真珠産業が盛んであり、1880年代に入って潜水夫として日本人が移り住むようになった。日本人は技術が優れ、よく働くため、とてもこの街で重宝され出稼ぎ日本人潜水夫が増えたという。

潜水病やその他の水難事故によりたくさんの潜水夫がこの地で亡くなったため、
この地に墓があるというわけです。

この場所には707基919名の慰霊がある。




この写真は街中にある、日本人の銅像。
戦前から、日本人が真珠産業を支えていたことがよく分かる。



ダーウィンでのブログにも書いた通り、
第2次世界大戦で日本はオーストラリアを攻めた。

ダーウィンと同じく、このブルームも1942年に空襲被害を受けている。
日系人は収容所に送られた。

しかし終戦後、彼らが再びこの地に戻ってくることで真珠産業が復興したのである。



この写真は、日本人潜水夫たちが反日感情が強いダーウィンを経由して
ブルームに帰ってきた時の写真。(MUSEUMに展示されている。)

この写真をみた時、「なんてかっこいいんだろう!」ってテンションがあがった。

私の祖父も生まれていない時代に、海外へ渡り
こうして活躍していた日本人がいたことを誇りに思った。


そして、もっともっと多くの日本人に彼らのことを知ってもらいたい。







日本人墓地は戦後荒れたままであったが、1983年に日本船舶復興協会会長の笹川良一氏、元参議院議員の玉置和郎氏によって修復されている。







一部壊されてしまったものもある。




周りに地元の人や中国人の墓があったけど、
この日本人墓地が一番美しく、落ち着いていた。


日本人の墓が一番好きだった。





ふと足元をみると、


そこにはたくさんの貝殻が敷き詰められいることに気付く。







観光でここに訪れる人は、果たして気づいているのだろうか?




こういう日本人の感性や、先祖を敬う気持ち、気遣いの心って、素敵だよね。





なんだかお墓に行って、とても癒されてしまった。





関連記事